日本で茶の栽培が記録として残されているのは、嵯峨天皇が815(弘仁6)年6月に畿内並びに近江・丹波・播磨等の国に茶を植えさせ毎年献上させるように命じたという「日本後記」からとなっています。
その中に奈良県が含まれており、伝承としては大同元年(806年)に弘法大師が中国より茶の種を持ち帰り、奈良の地に植えさせたのがはじめとされています。
栄西禅師が茶を再導入した後、各地に広まり奈良県においても興福寺の周辺に茶が栽培されていたことが知られています(1249年(建長元年)「鎌倉遺文」7153号による)。さらに西大寺・般若寺・室生寺などの寺院茶園など大きな茶園が広がって急速に普及し、16世紀には吉野郡山間に茶生産が拡大しました。
茶園面積の小さい吉野地域はほとんど茶産業から撤退し現代は大和高原北部地域において生産され、広域流通のため広域茶流通センター(JAならけん)が設置されるなど茶業の先進県となっています。
この地域は標高200~500mで平均気温13~15℃、降雨量 1500mmの山間冷涼地で、日照時間も短く、昼夜の温度差も大きく、良質なお茶の生産には最適地です。生産量は、年間約2,490トンで全国第6位となっています。
「大和茶」はあまり知られていませんが、近くの宇治茶にも歴史・品質で負けない「隠れた銘茶」と言えます。